No Judge
最近の私の中でのテーマです。
考えてみたら、私は昔から
「あれは正しい事にちがいない」「あれは間違っている事にちがいない」
と、とにかく自分の中で決めたがっていたように思います。
そんな中で判断が難しい問題を考えはじめると悩んで悩んで疲れるので、
早く自己確立してスムーズに判断できる人間になっていきたい!と思ってました。
「判断できないこと」がストレスだと思っていたような気がします。
実のところ「判断しようとすること」が私のストレスの根源だったんだなぁ。
だからこんなに面倒くさい人間になってしまったのかもしれない。
本当にストレスなく生きていくなら、いちいち「判断しない」ことだったんだなぁ。
ノージャッジ。
はっきり言って難しいことです。
色んな人がいて、色んな魂があって、全部個性。その人だけの人生でその人だけのもの。
突き放して考えるというより、受け入れる感じで。オーケーそうなのねって。
頭でわかって行動が伴わないわたしですが、気長にこのテーマを心に止めていたいと思います。
追記
そういえばノージャッジが出来ていた日を思い出しました。
フルマラソンに初めて参加した日です。
あの日は私は私。誰とも競おうとも思わず、ただ自分のゴールを目指すのみ。
立ちションにもノージャッジできていた。(いちいち気にする余裕がなかっただけかな?)
そして一緒にゴールを目指す周りのランナー全員を素晴らしいと思えていたし、支えてくれた周りにも感謝でいっぱいだったし、自分も愛せていた気がします。
適度な余裕と目指すものに一生懸命になれているとき、ノージャッジは可能なのかもしれません。
目指すものは人それぞれ。
私は私であればいい。